福岡県潤野市にある「うるの保育園」。先代の園長がこの地で約30年、歴史を積み上げてきた園舎を、木村幸道先生が二代目を引き継ぐタイミングで全面改築。新園舎のアイデアには、保育士さんや子どもたちの声が反映されました。建て替えへの思いや、建て替え後の変化について、聴き手に城真衣子さんを迎えてお話を伺いました。
「理想の場所」をつくりたい
城 まず、改築の経緯から伺います。
木村幸道園長(以下:園長)旧園舎が築30年を超え、老朽化による耐震性の不安など子どもたちにとって危険な環境になっていたので、それを改善したいと思ったことがきっかけです。
城 新園舎の構想を練るにあたり、どんなことを意識されたのでしょう?
園長 せっかく建て替えるなら、子どもたちにとって「理想の場所」をつくりたいという想いがまずありました。 じゃあ、それはどんな場所なのだろう?と調べていたところ、世界が注目する教育アプローチである「レッジョエミリア」の存在を知り、感銘を受けました。ほかにもバオバブ保育園など約30園ほどに出向き、それぞれの取り組みを伺ったりもしました。でも、そこで素敵だなと感じたものをそのまま真似するのは違うと思ったんです。なぜなら保育の歴史が違うから。園の中心にいるのはうるのの子どもたちであり、そこで働くのはうるのの保育士なので、その全員が「理想の場所だ」と思えることが大事だと思いました。城 みんなの意見を取り入れるべく、先生方と設計チームで何度もワークショップを開いてディスカッションをされていましたよね。ほかにも、子どもたちが「光の塔」のデザインを考えたり、洗面台も既製品ではなく子どもが本当に使いやすい高さを検証して設計したり。決して一方的でなく、そして大人の都合だけでもない園舎づくりをされました。しかも今回は設計チームも子育て中だったんですよね。園長と先生方と子どもたち、そして建築のプロ。そんなメンバーが同じ立場に立って、ひとつの場所をつくりあげたことに意味があったと思います。
「変化」への抵抗と期待
城 今回は園舎だけでなくクラス名も変えられました。1歳は「Jupiter(ジュピター)」、5歳は「Apollo(アポロ)」と、面白いですね。
園長 自分がいま立っているのは広い宇宙のなかの地球なのだ、と子どもたちに広い視野を持ってほしいとの想いからです。「難しくて子どもが覚えられないのでは」という声もありましたが、難しいからこそ子どもは知的好奇心を発揮するものですから。それに、自分を例に挙げてみても、教室の時計の位置や廊下の色など、幼児期の環境ってよく覚えているんですよね。そういう原風景の一部になればと。
城 「アポロ」なんて普段の会話に出てこないですものね。クラス名にして身近なものにしてしまえば、自然と興味も湧くし、覚えられる。本を読み聞かせるより効果がありそうです。でも、長年愛着を抱いていた名前を変えることに抵抗はなかったですか?
園長 もちろんありました。以前は花の名前で、年長さんは「すみれ」だったのですが、失うのが悲しくて。なので自分の子どもに託しました(笑)。
城 だから娘さんのお名前がすみれちゃんだったんですね〜! すてき!でも、園長の代替りや園舎の変化と、それだけでも子どもたちを取り巻く環境は大きく変わったのに、さらに先生の代からモンテッソーリ教育を取り入れ、保育方針も改変されました。これはとても大変だったと思います。
園長 そうですね(苦笑)。でも僕は従来の保育方針、つまり一斉保育に疑問があったんです。ただでさえお母さんと離れて園にいることが子どもにとっては「我慢」なのに、自分のしたくないタイミングでみんな一緒に外で遊ばないといけない、給食を食べなければいけない。それができない子は「我慢が足りない」とみなされてしまう。果たしてこれが本当にいい保育なのかと考えていたところ、子どもの主体性を大事にするモンテ教育に出会いました。その後、建て替えの話があり、これはいいタイミングだとモンテ教育を取り入れることにしました。長年続けてきた保育方針を変えることに抵抗を抱く先生がいたのも事実ですが、結果、環境が変わったことで、徐々に意識が変わってきていると思います。
まちに開かれた保育園として
園長 いま僕たちがいるこの「まちのアトリエ」という部屋をつくったのは、園をまちに開いて、子育て中のお母さんや地域の方たちにも利用してもらいたいという思いがあったから。これまでにも離乳食教室やベビーマッサージ教室を行い少しずつ保護者の方や地域の方との接点を持つことができましたが、なにより一番嬉しかったのは、保護者主導で子育てに関する相談会が開かれたこと。「こんなことに困っている」「先生にこんな話を聞きたい」と、保護者の方々が自主的に動いてくださった。これはこの部屋があったから、園を開いたからこその変化です。今後はこの部屋をもっと活用して、まちに開かれた保育園としてできることを見出していきたいですね。
子どもも先生も落ち着いて過ごせる空間に
城 今回の取材では、先生方に改築後の変化についてアンケートを実施させていただきました。その回答を基に、さらにお話を伺いたいと思います。
まず回答で多かったのが「動線がよくなった」という内容。今日も園内の様子を見させていただいたら、本当に動線が効率よくできていて、先生方の意見がたくさん反映されたんだなと実感しました。とくにトイレの動線ですね。排泄して食事に向かうという乳児が一番混乱する時間に、みんな落ち着いていたんですよね。泣く子もいなくて、待つ子は静かに待っていて。これにはとても驚きました。
園長 旧園舎では0歳児クラスのトイレは廊下の一番奥にあり、活動場所から遠くて不便だったんです。クラスのトイレも最低2人の保育士がつきっきりにならなければならず、吹きっさらしだったので冬場は子どもにもよくない環境でした。それが新園舎ではトイレを部屋と部屋の間に設置したことで、子どもはしたいときに排泄できますし、隣り合うクラスの先生同士で子どもを見合えるようになりました。無駄な動きが減ったことで、子どもと接する時間が長くなり、落ち着いて見守りできるようになりましたね。
日常のなかで問題解決できる環境に
城 職員同士のコミュニケーションが増えて、その結果、仕事の質が上がったという回答も印象的でした。
園長 まず職員室が広くなり、みんなで膝を突き合わせて事務作業を行えるようになりました。どうしても残業する場合は職員室で、とお願いもしています。というのも、以前は残業するにも各自の部屋にこもるしかなく、自分以外のクラスが何に困っているのか、そこまで具体的に把握しきれなかったんです。いまはみんなが同じ空間にいて、日常のふとした会話のなかでそれぞれの悩みや業務進捗を共有できるようになりました。他の先生を巻き込んで意見交換をしたり、ベテラン先生にアドバイスをもらうことも自然とできるようになったので、毎日、夜に行っていた会議もやめました。
城 コミュニケーションの量と質の向上で解決した問題はありますか?
園長 逆に、問題を問題にしてこなかったんだと思うんです。「会議でこんなこと言っていいのかな」と声に出せないでいた。それがいまは個別に話せる空間もできたことで、問題が顕在化するようになったんです。そして、その問題を一緒に解決しようと言える環境になったのはすごく大きいです。
「安全」すぎてもつまらないと気づいて
城 当初懸念されていた安全面についてはどうですか?
アンケートには、「見通しがよくなった」「危険なところがなくなった」とありますが。
園長 園全体の見通しをよくしたかったので、設計チームから壁に穴を開けるというアイデアをいただき、部屋の中にいても周りの気配を感じられるようにしました。また子どもは本当に思いがけない場所でケガをします。そういう致命的な危険はなくなりましたね。
ただ、改築前は安全面の配慮は重要で「安全」すぎてもつまらないと気づいてしたが、子どもの主体性を考慮してみると、安全を優先するあまりつまらない環境になるのは残念だと思ったんです。それよりもちょっとした隠れ場所があると子どもはドキドキできるし、出会い頭にぶつかりそうな角があれば「あそこは危ないから気をつけよう」と意識が働きます。一歩外に出れば「危険」があるのが日常で、子どもはそこで成長します。なので新園舎は結構入り組んでいたり、ちょっとした「危険」を残しているんです。
城 安全だけがすべてでなく「危険」も含めて子どもにとって心地いい空間であるかが大事ですよね。
子どもの主体性を認めたその先へ
城 アンケートに「自分でおもちゃを選べる」「自分で遊びを見つけられる」という子どもの自主性や主体性について書かれた内容がたくさんあったんです。自分の望むタイミングでやりたいことができ、子どもの主体性が守られる環境になったのはとても大きな変化ですよね。今日も、デッキで猫みたいにまどろんでいる子がいたのが印象的でした。子どもが自分の居場所を見つけられるっていいなと思います。
園長 以前はそれが許されなかったんですよね。みんなと一緒に外で遊びなさいとか、そもそもデッキは人通りが多い場所だったので、単純にそこで寝ていたら邪魔だからと注意される。でもいまは建物の構造的にも動線から外れていることもあって、私たちも注意することがなくなったんです。
城 環境の変化と、先生方の意識の変化。その両面から、保育を変えていくことができているということですね。
園長 いまは子どもの主体性を認められる段階まで達することができたので、さらに今後は、それがプラスに働いているということを、成果として世の中に発信していきたいですね。