崎県諫早市で45年間、地域の子どもたちを見守ってきた「みやま保育園」の園舎。 老朽化のため、2012年秋に建て替えのプロジェクトがスタートした際、山崎園長はこう語りました。「わたしたちがつくるのは、100年使える園舎です。100人×100年で一万人の子どもたちの未来を支える園舎をつくりましょう」 プロジェクトに携わった4人が集い、園舎ができるまでの日々を振り返りました。
–地域にひらく–
坂口佳明(以下、坂口) この園舎建替えプロジェクトでは、園長、副園長と共に、アートディレクターの中川たくまさんと園庭を担当された造園家の山口陽介さん、設計者である私と同じく設計者で現場を担当した福口朋子の6名が主なメンバーでした。この鼎談では、プロジェクトメンバーの内、4名が集まって、これまでのプロセスを振り返りたいと思います。 まず、プロジェクトの初期から話し始めたいと思うのですが、園の要望を詳しく聞く前に、私たちは5つの計画案を考え、5つの模型を作りました。それらをいわばダシにしながら議論していったのですが。その中で、園長先生が「地域に保育園を開きたい」と語られました。園児やその家族だけではなく、地域の方々、お年寄りの集う場にもしていきたいと。そこから全体プランの方向性が見えてきたように思います。
山崎稔園長(以下、園長) 昔は、この子はどこの子だと地域の大人たちがわかっていて、ゆるやかな見守りの中で子どもたちは育っていたわけです。そ 地域にひらくれが、ここ数十年の間で激変してしまった。昔のあたりまえをかたちにすることができないか、という想いがありました。
山崎真一副園長(以下、副園長) 都市部では、子どもたちの声がうるさいと苦情が来るという話も耳にしますが、この地域では幸いにしてそのようなことはありません。セキュリティを優先して、園を塀で囲むのではなくて、開かれた場所にすることで、周りの大人の目で見守れるのではないか、というような話になりましたね。坂口 博多の文化である屋台を例にすれば、屋台があるから夜道が安全になるというように、開くことで守られるものがある。それって、すごく大事な考え方だと思うんです。だから、園長先生から「開こう」という言葉を聞いたときはすごくうれしかったです。さらにお話を伺っていくと、園長先生のイメージは、園だけに留まらず諫早の街全体にまで拡がっていたのが驚きでした。設計していく上でも、そうした大きな視野が内と外とをつなげて、さらなる展開を促してくれたような気がしています。
–自然が遊び場–
園長 園舎につながるように里山があるのですが、そこに防空壕も残っています。防空壕は、行政から危ないから塞ぐようにと言われたんですが、とんでもないと。これは歴史資源でもあり、ナマズやイモリの住処でもあります。危ないから塞ぐのではなくて、どうやったら活用できるかを考えたい。子どもたちにとっても、こうした場所があることは大事だと思うんです。
坂口 里山も子どもたちの大事な活動の場として考えて、園舎の二階の「森のデッキ」からそのまま山に入って遊べるように設計しました。もう一つ、諫早の街へのつながりを感じられる「まちのデッキ」を建物の前方につくることで、山と街との両方を感じられるようにと考えました。
副園長 他に運動場として使える土地もあったので、園内には運動場としての園庭は作らず、遊具も設置しなくていいと考えていました。その代わり、周辺の自然を園にとりいれていきたかったので、子どもたちの学びの場である山と園舎がつながっていることは、日々の保育にもとても良い影響を与えていると思います。
坂口 周辺の自然環境をとりいれる、という考え方から発想して、造園家の山口陽介さんが作庭された、園舎の前庭「まちの庭」では、豊富な井戸水を活かして、水田とビオトープを出現させています。これは、諫早の原風景を再現する試みでもあったと思います。
副園長 卒園した子どもたちが戻ってきたい、ふるさとだと思えるような場所にしたいという想いがありましたので、多良岳から湧き水が流れだして、それが本明川となり、その周囲に田んぼがひろがる諫早の風景を、庭として再現しようとなったわけです。子どもたちの様子を見ていても、日々、植物や虫たちが見せてくれる変化を肌で感じているようです。お迎えの時には、前庭で子どもたちが遊びはじめてしまうから、お母さんたちはなかなか家にたどり着かなくて大変だそうですが(笑)。
–子どもにこそ本物を–
坂口 別棟で建てられた赤い屋根の遊戯室「森の音楽堂」も、音響に配慮して、木製のピラミッド形の天井になりました。屋根の上には、風見鶏がいて、園だけではなく、地域のシンボルになるように願いを込めています。園長先生は、「森の音楽堂」にとても力を入れていましたよね。
園長 「美」を感じるという豊かな心を持つことは、生きる力につながっていくと思うんです。これからの子どもたちには「絵心・歌心・詩心」が大事だと思っていて、そうした心を育むための出会いを「森の音楽堂」を中心につくっていきたいと思っているんです。
坂口 「子どもにこそ本物を」という言葉を、園長先生から何度も聞きました。特に子どもの身体が触れるところは「本物」をしっかり意識して、壁は漆喰、床材は0・1・2歳の部屋は柔らかい杉材を、4・5・6歳の部屋はヒノキなど、部屋の用途にあわせて、無垢の木を使い分けました。エントランスに建つ柱は、旧園舎のシンボルツリーとなっていた楓の木が使われています。各部屋のサインや表札も木彫りでつくられました。 サインをデザインされた中川さんには、プロジェクトの初期から関わっていただいて、旧園舎のお別れ会なども一緒に参加していただきましたが、サインについては、どんなふうに考えてつくられましたか。
中川たくま(以下、中川) 大人になったときに、ふいに思い出してもらえるようなもの。答えを伝えるのではなく、手がかりをどうつくるかということを考えました。具体的には、「おひさま(0歳児)」が出て、「ふたば(1歳児)」が芽吹き、「わかば(2歳児)」に育ち、「つぼみ(3歳児)」になって、「たんぽぽ(4歳児)」が咲いて、「わたげ(5歳児)」になる、というストーリーをクラス名に重ねて、モチーフと表札の二つで表現しました。
–記憶をつなぐ–
園長 中川さんが具体的なデザインの提案の前に、『おおきな木』という絵本を持ってきてくれたのが、とてもよかったです。我々が目指しているのはこういうことだと、プロジェクトに関わる人たちが方向性を共有できましたよね。
中川 旧園舎の中心にあった大きな楓の木が子どもたちを見守っているみたいで、とても印象的だったんですね。でも、建て替えに伴って伐採せざるをえないという話を聞いて、木はなくなっても、子どもたちの心の風景としてずっと残っていくような記憶の継承ができればと思いました。『おおきな木』は、一本の木が子どもに注ぐ無償の愛をテーマにした絵本で、旧園舎の楓の木やこのプロジェクトに関わる大人たちの姿に重なったんです。
坂口 このプロジェクトは、進行する中で中川さんや山口さんをはじめとして、施工者も含めた新たなメンバーが加わり、どんどん豊かになっていった印象があります。それを、園長や副園長がポジティブに捉えられて、どんどん後押ししてくれました。園舎の建て替えが終われば、プロジェクトが終了するわけではなくて、関わる人の輪もどんどん広げながら、スタート地点に立ったというイメージがありますね。園長 本当にこれからですね。学童保育の建設もはじまりますし、ツリーハウスをつくりたいとか、カフェをやってみたらどうだろうとか、頭の中は実現されるのを待っているアイデアでいっぱいですから(笑)。私たちにできることは、まだまだあるはずです。