話し手・絵:Yくん 聞き手・文:遠藤綾
2015年9月 自宅近くの喫茶店にて

Yくん 2010年生。2年半前に東京から福岡県久留米市に転居。生後8ヶ月から保育園に通い始め、現在は「リズム運動」で知られ、全国に姉妹園があるさくら系列園に通っている。折り紙とレゴに夢中。いま一番気になる存在は、クツワムシ。1歳になる妹がいる。絵は、4歳11ヶ月の時のもの。天と地を表す基底線を描くようになってきた。

2011年12月30日(1歳0ヶ月)。―Yくん、わたしに向かってはじめての一歩、歩いた。
2012年3月21日(1歳3ヶ月)。―わたしのことをはっきり「アヤ」と呼ぶようになる。
2012年7月4日(1歳7ヶ月)。―絵本に描かれたタンポポの綿毛に息をふきかける。
2012年10月15日(1歳10ヶ月)。―鳥を指差し、あれはなに?と聞くと、「ちゅんちゅん」と応える。

 4年前の日記を見返すと、歩き始めてから言葉を話し始めるようになるまでの様子をこうして書き出して見るだけでも、子どもが日々劇的な変化を遂げていることがわかります。子どもにとって「生きる」ということは、それだけで大冒険であろうことは容易に想像できます。そして、言葉で意思疎通できる3、4歳になっても、(教えなければ)彼らはまだ文字のない世界に生きています。ここがどこなのかも、いま何時なのかも、日本も宇宙もわからなくても、いまこの時を堂々と生きています。
 子どもには、世界がどんなふうに見えているのでしょうか。大人は誰もその答えを知らないはずなのに、世の中には大人によるイメージの「子ども」ばかりが流通しています。しかし、それはあるフィルターのかかった子ども観を超えられません。整理された大人※編集は最小限に留め、言葉の順序を入れ替えたり、削ったりせず、ほぼ語られたままに掲載しています。の言葉に頼りすぎるのではなく、目の前の子どもの未整理だけれど、その「生」をそのままに伝える言葉に耳を傾けると、新しい視野が拓けてくるはずです。
 そんなことを思っていた矢先、4歳10ヶ月の我が子(Y)が通う保育園で飼われていた山羊の「ヤマ」が死にました。2歳の頃からの付き合いだった「ヤマ」が死んでしまったことを知った日の帰り道、車の中で「ヤマの死」について興奮気味に語るYに、きちんと話を聞いてみたいと思いました。大人への依頼と同じように、インタビューをしたいということとその趣旨を説明すると、「うん、いいよ!」と快諾を得て、はじめての子どもインタビューがスタートしました。

※編集は最小限に留め、言葉の順序を入れ替えたり、削ったりせず、ほぼ語られたままに掲載しています。

 お医者さんが元気をいれたけど

―ヤマ(山羊)が死んじゃったって聞いたんだけど、死んじゃったこと、いつ聞いたの?

Y 今日Gちゃんが教えてくれた。お墓も教えてくれた。お墓ね、木がいっぱいはえてるところがあるやん。鉄棒のところの。そこに木がいっぱいはえてるところで、大きいお墓があった。

―大きいお墓の上には何かあるの?

Y お花が立ってた。

―ヤマが最後どんなだったか聞いた?

Y うーん。死ぬときは、聞いたよ。お医者さんが何回も来たのよ。でも、でもね。ヤマが倒れちゃった。

―こないだ、おばあちゃんちに行く前にもヤマにお医者さんが来たって言ってたもんね。

Y 爪が、くいってなっとったったい。あのー。前じゃなくて、後ろの足。後ろの足がくいってなっとったけん、そっからバイキンがはいっとったったい。それで、ヤマは弱って。それで何回もお医者さんが元気をいれたけど。元気はいっぱいヤマがでらんかったけん。えっとー。死んだ(悲しそうな顔)。

―ふーん。今日はみんなでヤマのお墓行ったの?

Y いや。畑のにんじんとだいこん植えとったけん、ぼくだけ行ったのよ。Gちゃんと。

 どんどん腐っていくと

―ヤマはお墓の中でどうなると思う?

Y ヤマはどんどん腐っていくと。でね。もうね。ヤマはね。いきられんとよ。

―いきられんってどういうこと?

Y うーん。また生きていかんってこと。死んだやろ。

―うん。死んだらどうなるんだと思う?

Y 死んだらね。あの、お墓にいれられて、天国にいっちゃうのよ。みんな。最後に。それでね。みんなね。もうおりてこんと。天国にいっとるけんね。だけんね。死んだ人だけの場所ばい。ヤマも死んだやろ。ゼロちゃん(隣家の柴犬)も死んだ。しろちゃん(ヤマの先代の山羊)も死んだ。

―ヤマがいなくなってどんな気持ちだった?

Y さみしい。だってね、ヤマはね、いまごろおったのに、もうおらんからさみしい。

―いつもごはんあげてたもんね。

Y うん。いっぱい蚊にさされとったけんね。

―え?蚊にさされるの?(意外な展開に驚く)

Y 蚊がいっぱいヤマのまわりにおったけんね。ヤマは元気がなくなった。山羊は、蚊があぶないんだよね。だから、蚊がいないところに住んだほうがいい。ヤマは蚊がいるところに住んでるから。森の中に。だから蚊がいっぱいいる。

 大人になるって、そういうふう

―死んじゃうってどういうことなのかな?

Y 死んじゃうって。死んじゃうって。えっと。死ぬっていうのは、目をつむって、寝っ転がること。ヤマはいっつも起きてたのよ。蚊がいっぱい来てたから。

―でもさ、目をつむるって寝る時もそうするじゃん。それとどうちがうの?

Y (目をつぶり、寝る真似をしながら)ヤマは、ずーっと起きてるの。朝はちょっと寝るんだけど、あのー、メーメーっていってるから。かゆいの。かくのよ。つので。やめてっていってるんだけど。でも、かくの。だけんね、だけん元気ないと。

―人間が死ぬっていうのとは違うの?

Y ちょっとおんなじなんだけどね。元気が、あの、元気がなくなっていくと。ぼくも元気がちょっとずつなくなっていっとるやろ。

―そうなの(驚き)⁉

Y あの。大人になっていくって、そういうふうでね。ちょっとずつなくなっていくと(少しさみしそうな顔)。おかあさんは、いまあるやろ。

―なにが?

Y 元気が。おとうさんもあるけど。でも、どんどんどんどんおじいちゃん、おばあちゃんになっていくと、元気が少なくなっていって。それで、死ぬの。ヤマも、おじいちゃんになってから死んだの。

―人間は死んだあと、どうなると思う?

Y  人間はお墓にいれられる。ヤマとおんなじように。

―死んじゃった人は、死んだことが悲しいのかな

Y 悲しいことよー(すごく悲しそうな顔)。それは。

―どうして?

Y あの。悲しい気分になる。泣かないでも、「あー、ヤマがいなくてさみしいなあ」とか。悲しい。大人も痛いときとかえんえんって泣くとよ。悲しい時も泣く。さみしいときはあんまり泣かない。

―さみしい時はあんまり泣かないのね。

Y うん。あんまり泣かない。悲しい時はいっぱい泣くね。

―それ以外の時は泣かないの?(難しい質問すぎたかな)

Y うーん…(困った顔)。たぬきがうんちをしました! うふふー(笑)。みんなはくさいくさい、いいました。それで、おしまい(笑)。(おどけた様子) 神様はおひめさま

―(気をとりなおして)赤ちゃんはどこからきたんだろう?

Y 天国ばい(きっぱり)。

―天国には、死んだ人と生まれる前の赤ちゃんがいるの?

Y うん。そうよ(きっぱり)。

―一緒に遊んでるの?

Y 遊ぶわけじゃないよー(わかってないなぁという表情)。

―天国には神様っているの?

Y いるよ(きっぱり)。

―どんな人?

Y 死んだ人。死んで、おひめさま。

―女の人?

Y そう。女の人よ。

―やさしい?

Y やさしいよ。でもね、悪いことしたらね、犬がおってからね、おいかけて「ガブ」ってするけんね。犬は、食べると。

―悪い人を?

Y うん。

―Yも神様にあったことあるの?

Y ない。死んだ人だけが行くんだもん。

***

インタビューを終えて
 4歳10ヶ月。日常とファンタジーの世界との距離が近く、時々それらが交差するような地点に彼らは住んでいます。4歳を過ぎてから、より大きなものに少しづつ関心が向けられるようになり、「死ぬとどうなるの?」「おつきさま、お昼はどうしてるの?」といった問いを投げかけてくるようになりました。こうしたやりとりの中から、子どもが全身で世界をつかもうとしていることを感じ、新しい見方を子どもから受け取っているように思います。
 インタビューの中で特に印象に残ったことが三つありました。ひとつは、「ヤマの肉体は腐っていくが、天国に行く」と答えていること。身体と魂とは別だ、と受け止めているのでしょうか。二つ目は、「元気」が少しずつなくなっていくことが大人になっていくこと、と答えていること。大人になっていく過程を「増えていくもの」ではなく「失っていくもの」と考えている点が興味深く思えました。最後に、「悲しい」という感情は、泣くなどの表現によらなくても心の中で静かに起きている、と理解していること。心の複雑な動きを見つめる、内面の成長を実感しました。

子どもインタビューのすすめ
 やってみると、子どもインタビューはとても楽しかったです。まとまった話を聞けたのは30分が限界でしたが、子ども側もこちらが一言も逃さず聞き取ろうとしている様子を読み取ったのか、インタビュー後とても満足気でした(喫茶店でプリンを食べられたからかもしれませんが…)。考えてみると、こんなふうに集中して語り合う機会はなかなかつくれないものです。
 加えて、とてもよかったのは、子どもとのやりとりを書き起こし、改めて見なおす機会になったことです。既に知っていることの答え合わせのような問いかけをしていないか。子どもに自分が劣ったものと感じさせるような問いかけをしていないか(褒めすぎることで逆に差別してしまう危険性も)。子どもの言葉を途中で遮り、了解済みという暗黙のメッセージを送っていないか。子どもへの対し方が否応なくクローズアップされ、親としての課題も見つけてしまいました。
 わたしもやってみたい、と思われた方は、杉山亮著『子どものことを子どもにきく』(新潮社刊)を読まれることをおすすめします。子どもインタビューの着想と心得を学んだ本です。
 これからも子どもが語りたい事柄が出てきた瞬間を逃さず、子どもインタビューを続けてみたいと思います。10年後には、新しい風景が拓けてくるかも。

子どもインタビューは、インタビューサイト「こどものカタチ」にも掲載中です。

こどものカタチとは?

子どもに関わる人へのインタビューをインターネット上で配信すると共に、インタビュイーを招いた研究会や、子どもに関するドキュメンタリー映画の上映など子どもを取り巻くさまざまな問題を考えるための活動を行っている。

www.kodomonokatati.org